「東京にはなんでもあるし、きっと毎日が充実してキラキラしているはず!」
「東京に行けば、いろいろな人との出会いがあって、毎日刺激的なはず!」
上京したばかりの頃、あるいは上京を夢見ていた頃、私たちの胸の中にはそんな漠然とした期待とワクワク感が確かにありました。
日本の最先端、無数のチャンス、刺激的な出会い。東京という街は、地方の若者にとって自己実現のステージそのものに見えたはずです。

おれも東京行ったら、モデルみたいな彼女できて毎日六本木でパーリーだと思ってたわ……。

お前は働け。

私も例外ではありません。
東京の大学に通い、社会人になってからもシェアハウスで東京近辺を転々とし、今は池袋に住んでいます。
しかし最近、ふと「あれ、なんかそういうキラキラした価値を全く感じなくなってきたな…」と気づいたのです。
確かに東京では、いろいろな人との出会いがありました(シェアハウスを転々としていたこともあって、知り合った人の数はそれこそ300~500人とかに達するんじゃないですかね?)。
しかし、結局定期的に会うのはその中の10人くらいです。
確かに毎日何かしらのイベントをやってます。
でも、私がいきたいイベントはごく一握りで、外出も面倒になってきたので 基本家で過ごしています。
どっかの記事で書きましたが、今年の正月 彼女と別れまして(笑) 結局そこから「独身生活謳歌するぞ〜」という気にもならず、基本家にいるか近くを散歩するかたまに友人と飲みに行くくらいしかやることがありません笑
このままだとマズいという思いがあるので、最近は無理やり予定をブチ込んだりしてきを紛らわせています。
結局私に残った気持ちとして、こんなの東京でやらなくてもいいじゃん笑というものです。
今回は、いつものような小難しい学術論文や公的データを用いた社会批評はお休みします。
その代わりに、東京の大学に通い、そのまま東京で働きながら5年以上この街に住み続けて感じた、私自身の「等身大の虚無感」をただただ書き綴ってみようと思います。


はじめまして。「論文解説お兄さん」を自称している、Murasaki(むらさき)だ。

友人兼水先案内人のニートです!
はじめまして。この記事を書きました Murasakiと申します。
論文を用いて、少しでも人生が明るくなるようなお手伝いをする情報発信をしています。
マルボロの赤を愛煙する喫煙者です。
詳細につきましては、以下の記事をご確認ください。
このブログでは、ほとんどの場合論文の引用や信頼できる公的機関等が発表した統計データの一次情報を引用して、一貫した主張を展開するスタイルを徹底しています。
ちまたに流れる「お気持ち表明」的な三流ハウツーとは一線を画した内容になっていると思います。
また、サブスクリプションもはじめました。毎月「コーヒー1杯くらいなら奢ってやるか」といった優しい方向けです。
ぜひ、ご支援いただけると幸いです🥺

また、YouTubeチャンネルも開設しました!
しばらくは、政治系の切り抜き動画やってみようと思います!
東京だけでしかできないことってなんだ?
東京には何でもあります。それは事実です。
- 観光地
- イベント
- おしゃれな街や話題のスポット
- 多くの出会い
- 刺激的なワルい遊び
しかし、ここで一つの素朴な疑問が湧き上がります。
「じゃあ、いまこの令和の時代において、物理的に東京にいなければ享受できない価値ってなんだろう?」

えっ、いっぱいない? 買い物とか、エンタメとか……。

それ、全部AmazonとNetflixでできるだろ。
果たしてそうでしょうか。ここから、私たちの「場所の価値」に対する認識がいかにテクノロジーによって破壊されたかを紐解いていきましょう。
テクノロジーが「場所の優位性」を破壊した

一昔前までは、コンテンツに触れるのも買い物をするにも、それなりの人口規模がある場所でないと高品質のものを獲得するのが困難でした。
冗談抜きで場所 それ自体が豊かさと直結していた時代です。
しかし、スマートフォンの登場以降社会はどうなったでしょうか(実際にはもっと前から始まってはいたのですが)。
いまや、世界トップクラスの大富豪も、シリコンバレーの天才AIエンジニアも、地方のイオンモールでたむろしている女子高生も、みんな同じ「iPhone」を持っています。
ポケットの中のその板切れを開けば、Spotifyで世界中の最新の音楽が聴き放題になり、Netflixを開けばハリウッドの巨額予算が投じられた最高品質の映像作品を、地方のボロアパートに寝転がりながらでも享受できます。
Amazonプライムなら、欲しいものは翌日に玄関先まで届きます。
…これってよくよく考えたら恐ろしいことだと思いませんか?

生活インフラとエンタメの質が、恐ろしいレベルで均質化されちまったんだよな。
昔は「最先端の文化に触れる」ためには、どうしても東京という物理的な空間に足を運ぶ必要がありました。
しかし、テクノロジーとプラットフォームが生活水準を極限まで民主化してしまった現代において、「東京にいなければ得られないエンタメや情報」は、実はほとんど消滅しているのです。
YouTubeを開けば、ヒカキンやヒカルが何かすっごく高そうなものを持って紹介していますが、「すげぇな」とは思いつつも、別に「自分も欲しい」とまでは思わないですよね。
私に元々そうゆう物欲がないだけなのは否めませんが、そのような物を手にいれる以前にNetflixやXのコンテンツ消費が忙しくて そうゆうギラギラした何かに思考を割くリソースがほぼない笑
よくよく考えたら、東京でしかできない消費行動というものが私にはないのです。
東京でしかできないこと一覧
とはいえ、完全にゼロになったわけではありません。
では逆に、完全にフラットな目線で「物理的に東京にいなければ体験できないこと」をリストアップしてみましょう。
- 世界的なアーティストの来日公演や、特定の大規模ライブイベント
- 国立新美術館や森美術館などで開催される、最先端の展示会・アートイベント
- 予約困難な超ハイエンドの飲食店(ミシュラン三つ星のフレンチや、一見さんお断りの寿司屋など)
- 六本木や西麻布の会員制ラウンジでの、異常にカネ回りの良い人々との狂った飲み会
- 歩いているだけで無数にすれ違う、圧倒的な数の「美男美女」の存在
- 予約困難な超ハイエンドの飲食店(ミシュラン三つ星のフレンチや、一見さんお断りの寿司屋など)

あれ、意外と絞られてきたな……?

ってか、なんだかんだ言って同じような経験、別に他の地方都市でもできちゃったりするしな笑
そうです。たしかにこれらは東京の特権です。
しかし、胸に手を当てて考えてみてください。
「これらって、本当に東京でしかできないことですか?」
「これらって、本当にあなたの人生にとって必須のピースですか?」
「同じことを5回も10回もやって、本当に楽しくて毎回新鮮ですか????」
週末のライブやたまの展示会なら、新幹線で小旅行がてら来ればいいだけです。
毎日ミシュランの寿司を食うわけでもなければ、ラウンジでシャンパンを開けるような生活をしているわけでもない。
私たちが日々享受しているものの95%は、実はスマホとAmazonと近所のスーパーで完結しているのです。
正直、ステレオタイプな東京っぽいことは、私個人としては一通りやり尽くした感があります。
残りの5%の「東京らしさ」のために、私たちは毎月バカ高い家賃を払い、満員電車にすし詰めになりながら労働の対価をすり減らしているわけです。
……なんなら、その残りの5%とやらも怪しい。
本当に東京でしかできないんだっけ!!!?(混乱)

だいぶ混乱してるね笑

正直、今の生活 色々面倒臭くてな。
元々仕事なんて大っ嫌いなんだよ。
冷静になって考えてみると、地方都市(たとえば福岡や札幌)でも、質の高い飲食店はいくらでもあるし、ちょっとしたアートイベントなら開催されます(東京にいてもそんなイベント行かないので、地方移住しても無縁でしょうが笑)。
私たちが「東京にしかない」と思い込んでいる価値の大部分は、実は単なる「錯覚」や「東京というブランドへの依存」に過ぎないように思えてならないのです。
「東京の効能」はやがてプラトー(限界)に達する

では、なぜ私たちはそれでも東京にしがみついてしまうのでしょうか。
それは、上京したての頃の「何でもできる感」という強烈な原体験が脳に焼き付いているからかもしれません。
私は埼玉の小田舎出身なので、最初は「東京に身をおいてさえすれば、何かが大きく変わる!」 な〜〜〜んて期待を最初持ってましたが、そんなのなかったですね。
…いや、それを「手に入れたのが当たり前」になってしまって感じなくなってるのかな?
いずれにしても最初に思っていた期待とか刺激というものは、一通り経験し尽くしたので もうこれ以上東京にいてもそれらの利益を享受できないと思ったのです。

昔やったような渋谷のWombとかで狂ったようにテキーラ飲んで踊る!なんて、これっぽっちもしたくないしな笑

陽キャやんけw
実際に人間の感覚とか刺激のようなものって、最初は刺激的なのかもしれませんが、その感覚が永遠に続くことはありません。
普通に生きていれば、いずれ「慣れ」がすべてを奪う
上京して最初の1〜2年は、ただ渋谷のスクランブル交差点を歩くだけで感動し、表参道のおしゃれなカフェに入るだけで「東京生活を満喫している」という全能感に浸れます。
休日のたびに新しい街を開拓し、話題のスポットに出かける。それは確かに充実した日々です。

おれも最初ハチ公見たときは「うおおテレビと同じだ!」って感動したわ!

おのぼりさん丸出しだな。で、その感動、いつまで続いたよ?
残酷なことに、人間の脳はどんな刺激にも「慣れる」ようにできています。
「東京でしかできない!」と感動していた体験も、普通に生活して年数を重ねれば、次第になんとも思わなくなります。
渋谷はただの「人が多くて歩きにくい駅」になり、表参道は「用事がないと行かない場所」に変わります。
人間が享受できる「東京の効能」は、数年もすればプラトー(停滞期・頭打ち)に達してしまうのです。
これは避けられない生物学的な反応です。
プラトーを脱したければ「さらなる追加の刺激」をキメるしかない
「東京の効能」がプラトーに達し、すべてが日常に変わってしまった時、それでもこの街でさらに強い「刺激」や「東京らしさ」を得ようとすればどうなるか。
その先で多くの人がやってしまいがちな行動の典型例は「港区的消費活動」でしょう。
- タワーマンションの高層階に住み、夜景をInstagramにアップする。🫵🤡
- 一泊10万円以上する外資系高級ホテルのラウンジでアフタヌーンティーをする。🫵🤡
- 一食3万円の「予約困難店」に通い詰める。🫵🤡
- 港区の会員制バーで、モデルやインフルエンサーを交えて豪遊する。🫵🤡

ひえぇ……想像しただけで金が吹き飛んでいく……。

要するに、東京の刺激を維持するには「金」という燃料を狂ったように燃やし続けるしかないってことだ。
普通の生活レベルでの「東京の楽しみ」は数年で枯渇します。
そこから先の刺激を得るには、もはや資本力で殴り合う「港区消費ゲーム」という無間地獄に足を踏み入れるしかないのです。
しかし、年収1千万そこらの一般的な会社員に、そんなゲームを続ける体力はありません。
結果として、多くの若者は「東京の維持コスト(高い家賃や生活費)」だけを払い続けながら、大した刺激も得られず、ただスマホでNetflixを見るだけの生活を送ることになります。
それって、家賃が半額以下の地方都市でやる生活と、何が違うのでしょうか。
個人的に安価で追加の快楽をキメられるコンテンツとして最近発見したのは「東京街歩き」です。
動画は私が池袋に引っ越した際に流れてきた、散歩系YouTuberの「ななすけの散歩録」です。
見てみたら、街のなんでもない道路にその背景や歴史を見出して、確かにこれは東京をもっと好きになるコンテンツだなって思いました。

この「東京街歩き」も、東京それ自体に対して深く調べて追加でキメるコンテンツだよな。
おれは結構好きだ。

Murasakiくん好きそ〜〜〜
こうゆうのを追加で楽しめるならいいのですが、多くの人にとってなかなか難しい(調べるのが手間)なのではないでしょうか。
東京の快楽がプラトーに達した先に
港区消費ゲームに参加する財力がない、あるいは参加したところでどうせすぐに飽きる(プラトーに達する)と気づいてしまった時、私たちはどうなるのでしょうか。
永遠に自分のためだけに稼ぎ、自分のためだけに消費し、そしてただウンコを製造するだけの毎日。
しかも、その「自分のための消費」から得られる快楽すら、すでに頭打ちになっている。
果たして、このループを死ぬまで続けることに何の意味があるのでしょうか?

うわぁ、急に虚無のどん底に落とすじゃん……。でも確かに、毎週末美味しいご飯食べてるだけじゃ、いつか飽きるよね。

自分のためだけの快楽なんて、所詮は脳内麻薬の分泌量に限界があるからな。
自分には元々、東京で成り上がってやるぜ〜!!!という野心は更々なく、なんなら働きたくないという思いがずっとありました。
今も本棚に残っているのですが、FIREに関する本が出版された2020年、狂ったようにその本を読み「如何にして人生アガるか?逃げるか?」をずっと考えていました。
そんな私にとって、東京に暮らしてシェアハウスを転々としていた時代は本当に楽しかった。
…そして、そこから得られる快楽や刺激がプラトーに達した今、ただ自分のウンコを製造するためだけに生きる毎日。
結局のところ、自分ベクトルに向けた快楽が限界を迎えた時、その空虚な穴を埋める方法は一つしかないのかもしれません。
それは


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