お前は弱い… なぜだか分かるか? 足りないからだ…
うちはイタチ
…「憎しみ」が。

人を深く傷つけられたとき、多くの人が「仕返しをしてやりたい」と感じたことがあるのではないでしょうか。
暴力や侮辱、裏切り──そうした被害を受けたとき、怒りや悲しみと並んで、強い「復讐心」が心の中に芽生えることがあります。

自分を侮辱されたとき、メラメラと湧き上がるこの感情はなんとも表現し難い強さがあるよな。

わかる。
しかし冷静に考えると、復讐は多くの場合、得られるものよりも失うものの方が多い行動です。
相手を傷つけたところで、過去の苦しみが本当に癒えるわけではありませんし、場合によっては法的なリスクを負ったり、さらなる争いや孤立を招いたりします。復讐に時間や労力を割いても、後になって「やるべきではなかった」と後悔する人も少なくありません。
このように、復讐という行動は現代社会においては、非合理的で、むしろ「損」だとすら言えることが多いのです。にもかかわらず、なぜ私たちの心には、いまだに復讐心が強く根づいているのでしょうか?

感情はしばしば、進化の産物とされます。つまり、「役に立ったからこそ残っている」感情である可能性があります。
本記事では、「復讐心は無意味なのに、なぜ淘汰されずに今も残っているのか?」という問いを出発点として、進化心理学・社会的役割・現代的意義など、複数の視点からこの感情の正体を探っていきます。
この記事の結論
まず最初に、この記事の結論を簡単にまとめておきます。
全体を読み進める前に、どんな話になるのかをイメージしていただき、記事の著者Murasakiの考えをざっくり理解していただければと思います。
なぜ復讐心を語る上で進化を考えなければならないか?
「復讐心なんて、ただの感情にすぎない」と考える方もいるかもしれません。
確かに、私たちが日々抱く感情は、時に気まぐれで、非合理的に見えることもあります。しかし、その感情が長い進化の過程を経て、今日の私たちにまで受け継がれてきたのだとすれば、それには何らかの意味があるはずです。

感情に意味なんてあるの?

あぁ。その合理的な理由を探る方法が、如何にして我々は他の生物との生存レースに勝利してきたのか?を考えることだ。
進化の視点で考えると、「無駄な感情を持つ個体」は、それによって不必要にリスクを冒す行動に走り、生存や繁殖の機会を失っていたと考えられます。
たとえば、怒りに任せて危険な争いを起こす、あるいは復讐心によって執拗に相手を追い続ける──そうした行動は、生き延びるうえで不利に働いたはずです。
にもかかわらず、復讐心という感情は人間に残り続けてきました。これは逆に言えば、その感情が何らかの「適応的な役割」を果たしていたからではないでしょうか。
進化心理学では、私たちの感情や行動パターンを、祖先が生き延びるために直面していた「環境との相互作用の結果」として捉えます。復讐心も、無駄どころか、その当時の社会的文脈では生存や地位の維持に貢献していた可能性があります。

つまり、人間の感情にはちゃんと理由があって、その感情を発火させること自体に生存上有利に働く理由があったと考えるんだ。

なんかめちゃくちゃ壮大な話だな。
現代社会において復讐が“非合理”に見えるのは、私たちがすでに法や制度によって守られているからです。しかし、進化という長い時間軸に目を向ければ、この感情はむしろ「合理性の産物」として捉えることができるのです。
次章では、この復讐心が実際にどのような進化的役割を果たしてきたのかを、より具体的に探っていきます。
復讐心の進化心理学的背景
復讐心は、現代社会では「理性に反するもの」「抑えるべき衝動」として扱われがちです。
しかし、すでに説明したように、復讐心が本当に無意味な感情なら、そんなものを持っていたら生存リスクを引き上げることになっていたでしょう。
進化心理学の視点から見ると、復讐心はかつての人類社会において、生存や社会的地位を維持するための戦略的な感情であった可能性があります。

戦略的な感情って、なんか意味不明だな。。、

本人は復讐心の意味に気づけないが、そこには母なる進化が育てた重要な意味が隠れているんだ。
この復讐という概念や言葉は、世界的にも普遍的に観察されるものです。
換言すれば復讐は後からポッと出てきた悪い習慣ではなく、人類に普遍的な概念・価値観なのです。
復讐は加害者の2度目のを防ぐためのシグナル
復讐にはさまざまな側面がありますが、進化心理学や行動科学の観点から見ると、その大きな機能のひとつは「将来の被害を抑止すること」です。
つまり、「報復される可能性がある」と加害者に思わせることで、2度目の加害を思いとどまらせるのです。

これが重要なポイントだ。
反抗の意思をちゃんと示すと、加害者は利益を得られないばかりか 大恥をかく場合だってあるから手を引くんだ。

なるほど。。、
そもそもなぜ、いじめっ子はいじめをするのでしょうか?
それはイジメをすることで、自分がヒエラルキーの上位にいることを周りの同性や異性にアピールし、ステータスやセックスを獲得するためです。
要は、イジメは自分が有利に女と性行為をして繁殖するための適応的な行動なのだ。
要は、イジメられてやり返さず うじうじしている男は、いじめっ子のセックス獲得のためのダシにされていることになります。

うわぁ。。。、
ひでぇ

我々も所詮サルなんだよ。
こんなこと、自然界ではザラだ。
時代は令和なので、コミュニティなんていくらでもあります。だからこそ、気に食わないコミュニティからはさっさと逃げてしまうのも手です。
ただし、自然界ではそうはなりませんでした。コミュニティの存在は自分の命を守ってくれる存在でもあるので、そこからん抜け出すことは生命の危機と表裏一体なのです。
なんなら、あなたがコミュニティ内で屈辱的な思いをし逃げ出したなら、あなたはこれ以上の被害を受けなくなるでしょう。
一方で、あなたを侮辱した男は その評判で女性を魅了しセックスを獲得しているのです。

…だとしたら、やるしかないでしょう。
実際に研究が支持しているのは、自分を守るための反撃は 相手の加害行為を優位に下げると言うことです。
自分を守るための反撃は、相手の加害行為を抑制する
1998年、実験心理学の枠組みで行われた研究を紹介します。「懲罰的行動は攻撃目的より防御目的の方が効果的である」こと、そして「強者は攻撃的に、弱者は防御的に懲罰を使う」と予測されていましたが、その一部には意外な結果も示されました。
Results generally support the implications of bilateral deterrence; Ss facing opponents who took strong offensive measures used more punitive tactics than those who did not, whereas Ss facing opponents who took strong retaliatory measures combined with weak offensive measures used fewer punitive tactics.
Offensive and defensive use of punitive tactics in explicit bargaining.
128人の女性参加者による交渉ゲームを通じて、相手からの攻撃的または防御的な懲罰行動に対して、自分がどう反応するかを観察。結果、防御的な懲罰のほうが相手の攻撃を抑える効果が高い一方で、強者も弱者も攻撃/防御の使い方に有意差はなかったという、予想に反する発見がありました。

なるほど。。、

ナメられたら法に触れない範囲で仕返し一択だ。
加害者が他者に害を加えるとき、頭の中で無意識のうちに「リスクとリターンの計算」が行われています。
被害者が何も反応しないのであれば、「この人は反撃してこない」と判断され、将来的にもターゲットにされやすくなります。
しかし、被害者が強い復讐を行えば、「この人に手を出すとコストが大きい」と学習させることができ、加害者やその周囲の観察者に対して“見せしめ効果”が働きます。
復讐は新しい加害者が現れることを抑制する
学生時代を思い返すと、イジメのターゲットにされていた子は どんな人だったでしょうか。おそらくやられてもやり返さないいい子ちゃんだったのではないでしょうか。
最初はいじめに参加していたのは主犯格の数人だったのに、やがて周りの傍観者も参加し 大騒動になったシーンを見たことがあるでしょう。

イジメられてやり返さないのは、最も危険だ。
主犯格以外の臆病者も「こいつはやり返してこないから、何をやっても大丈夫だ」ってなるぞ。

ひでぇ話だな。
復讐の機能は、単に目の前の加害者への報復にとどまりません。進化心理学的に見たとき、復讐にはもう一つ重要な役割があります。
それは、「他の潜在的な加害者への抑止」という社会的シグナルの役割です。

たとえば、誰かに殴られたときに何もせず黙っていると、周囲の人はどう思うでしょうか?
多くの場合、「この人は反撃しない」「やられても黙っている」と判断され、傍観者だった臆病者たちもその人をターゲットにする可能性があります。

「主犯格がイジメても反撃しないなら、俺も参加すればセックスを獲得できる!」という、母なる進化が生んだ適応の結果だ。

なんか暗い気持ちになるな。
一方、復讐という行動は、「自分を攻撃すれば損害が返ってくる」と他者に認識させる働きを持っています。
これによって、「この人に手を出すのはリスクが高い」と他者に思わせることができ、新たな加害者の出現を防ぐ効果があるのです。
どうやら、母なる進化が我々の遺伝子に書き込んだプログラムには「他者の目があるときは、必ず復習をしと」というコードが書かれているようです。
第三者がいるとき弱者はより積極的に反撃する
1998年、Kimらが発表した報告を紹介します。「第三者の存在が、権力関係における復讐の方向性を左右する」ことが示されました。
As predicted, in the presence of a justice-concerned 3rd party, upward revenge (people of low power taking revenge against those of high power) was greater than downward revenge (people of high power taking revenge against those of low power). However, in the absence of a 3rd party, downward revenge was greater than upward revenge.
Effects of power imbalance and the presence of third parties on reactions to harm: Upward and downward revenge.
強者が復讐しやすいと思われがちですが、公平を重んじる第三者がいる場面では、むしろ弱者からの“上向きの復讐”が活発になることがわかりました。
逆に、第三者がいない状況では、強者が弱者に報復する“下向きの復讐”の方が顕著でした。
この結果は、復讐が単なる感情ではなく、社会的文脈や「正義への期待」によって大きく左右される行動であることを示唆しています。

弱者であっても、第三者の前でイジメに遭っていたら「他の傍観者にも攻撃されるリスク」を追うことになるからな。

そんなの、絶対に嫌だね。
このような復讐の機能は、個人レベルの感情というより、集団内での戦略的ふるまいとして意味を持ちます。
とくに、秩序や法が未発達な社会においては、「誰が報復するか」「誰が報復しないか」が重要な情報として共有されていました。
- 復讐する者 → 攻撃されにくくなる
- 復讐しない者 → コストなしで搾取されやすくなる
この非対称性が、復讐という行動の進化的な正当性を支えています。
あなたが侮辱されたのなら、法に触れない範囲でブチギレるべきだ
侮辱や見下しに対して黙っているのは、「私は反撃しない人間です」と公言しているのと同じです。
それは一種の“社会的敗北宣言”であり、自分の価値を自ら下げる行為にもなりかねません。

人間関係は相互の信頼があってこそだ。だからこそ、相手が舐めてきたら信頼もクソもない。徹底的に反論するべきだ。

なるほど。。、
ここで言いたいのは、暴力を振るえということではありません。
しかし、何も言わずにやり過ごすことが、長期的には自分を不利にするという点は、はっきり認識しておく必要があります。
侮辱に「反応しないこと」が生む悪循環
侮辱に対してスルーを決め込むことが「大人の対応」だとされることもあります。
もちろん、相手のレベルに落ちないという美徳は存在します。
しかし、進化心理学的な観点から見れば、侮辱されたのに何の反応もしない個体は、攻撃しても安全な存在=格下と見なされやすいのです。
特にいじめられっ子のママが息子に
「ヨシヨシ… ○○ちゃんは悪くないよ。学校で仕返しなんかしちゃダメだからね」
ってやっちゃいがちですが、男性社会の流儀を知らなすぎと言わざるを得ないでしょう。
少し言い方キツいかもしれませんが、若いだけで無条件でヨシヨシされる経験をしてきた女にとって、名誉のために反撃するなど意味不明で、互いに競争しあっている男性社会の流儀など理解できっこないのです。

じゃあどうすればいいの?

上の記事でも書いたが、父親の出番だろう。
子供がいじめられて学校から帰ってきたら、毅然とした態度で
「相手をやり返してボコボコにするまで飯は食わせねぇからな」
と警告すべきなのです。
それが、さらなる侮辱や搾取の連鎖を食い止めるでしょう。相手だけでなく、周囲の第三者にも「この人はやられたらやり返してくる」というシグナルを送るからです。
“ブチギレる”という行動の社会的意味
ここでいう「ブチギレる」とは、暴れることではなく、毅然とした態度を取ることです。
- はっきり言い返す
- 相手の発言の問題点をその場で指摘する
- 場合によっては距離を置く、SNS上で公開で反論する
- 必要なら法的措置を検討する
これらの行動は、「自分は攻撃されたら黙っていない」という抑止力としての自己演出になります。
人間関係は「舐められたら終わり」
どれほど善良な人であっても、一度“舐められた”ポジションに落ちてしまうと、そこからの回復は難しいものです。
あなたが一度「怒らない人」「無反応な人」というイメージを植えつけられると、その後も軽んじられ続ける可能性が高くなります。
だからこそ、侮辱にはコストを伴うと相手に思わせる必要があるのです。
それが、あなたの尊厳を守るだけでなく、「次の加害者を寄せつけない」ことにもつながります。
怒りは理性と組み合わせれば「武器」になる
怒りという感情は、制御されないと破壊的ですが、理性と組み合わせれば極めて強力なメッセージになります。
「ここで黙っていたら自分の価値が下がる」と感じたなら、法に触れない範囲で、堂々と怒りを表明すること。
それは、あなたの信頼性、自己価値、そして人間関係におけるバランスを守るうえで、非常に合理的な選択肢です。
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