多様性やジェンダー平等を掲げる社会には次のような教義があります。
それは女性は長年差別されてきた被害者で、彼女たちを救うことは善であるというものです。
このような教義が絶対に正しいものであるという前提のもと、さまざまな女性優遇策が取られてきました。
その中の一例として多くの大学が「女子枠」を設ける制度を導入しています。
一見すると、女性の進学やキャリア支援を後押しするように思えるこの仕組みですが、本当にその目的を果たしているのでしょうか?あるいは、むしろ逆効果を生み出している可能性はないでしょうか?
こんなこと大声で言ったら、社会から抹消されちゃうんじゃ…
私は断固として「大学の女子枠」には反対だ。
論理的に説明して単なる誹謗中傷にならないように主張を展開していく。
確かに学びたい意欲がある女性を支援することは一見道徳的にも理にかなっているように感じます。
しかし、実際問題彼女たちは大学への進学を望んでいるのでしょうか?
さらに、学問そのものが本当に女性にとって必要なものなのかという根源的な問いも浮かび上がります。
古来より家庭や地域社会を支えてきた女性の役割は、学問とは別の重要な価値を提供してきました。現代社会が無理に男女同一の目標を追求することで、むしろ社会全体の調和が失われているのではないでしょうか?
私は以前から何度も「(平均的な)女に学問は不要だ」と主張してきました。
詳細は上記の記事を参考にしてほしいのですが、さまざまな統計データが主張するように 女性にとって学問はそもそも不要で、お勉強したところでなんの役にも立たないのでは?と考えています。
この記事では、女子枠が抱える根本的な問題点、そして「女性に学問は不要である」という視点から、この制度が社会や女性自身にどのような影響を与えているのかを掘り下げていきます。
善意で始まった制度が、実際には女性の能力や本来の価値を軽視し、真の調和を遠ざけている現状を考えます。
大学の女子枠の現状
2025年現在、日本の大学で入学試験に「女子枠」を導入している(あるいは今後導入を予定している)主な大学は以下のとおりです。
- 東京工業大学(現 : 東京科学大学):2024年度入試から総合型選抜と学校推薦型選抜で女子枠を導入し、2025年度には募集人員を拡大する計画です。 京大ネット
- 東京理科大学:2024年度入試で女子枠を新規導入しました。 朝日新聞
- 名古屋大学:2023年度入試から女子枠を設けています。 オブンシャ
- 富山大学:2023年度入試で女子枠を新規導入し、その後も募集人員を増やしています。 オブンシャ
- 名古屋工業大学:1994年度入試で初めて女子枠を採用し、その後も継続しています。 大学ジャーナル
- 兵庫県立大学:2016年度入試で女子枠を導入しました。 大学ジャーナル
- 芝浦工業大学:2018年度入試から女子枠を設け、女子比率30%以上を目指しています。 ベネッセ
- 京都大学:2026年度入試から理学部と工学部で女子枠の導入を予定しています。 WithBe-A
驚くのは、これらの「女子枠」が増設された大学の学部学科は主に理工系分野であると言うことです。
すごいな… 理工系を狙い撃ちだ
あぁ。明らかに意図してこれらの学部を狙い撃ちしている。
多くの理工系学部(STEM教育を実施する学部)を狙い撃ちしてこのような策を実施する背景には、一体どのようなものがあるのでしょうか。
ここで一点補足ですが、今後STEM教育という単語が頻繁に登場するので この意味を解説しておきます。
STEM教育とは
- 科学(Science)
- 技術(Technology)
- 工学(Engineering)
- 数学(Mathematics)
の4つの教育分野を総称した言葉です。
そして、これらの教育を実践する大学に対して女子枠を作るように指示したのは文部科学省です。
実際令和6年度、文部科学省が公表した令和6年度大学入学者選抜実施要項 (PDF:634KB)では、以下のように記載されています。
家庭環境、居住地域、国籍、性別等の要因により進学機会の確保に困難があると認められるもの… 多様性を確保する観点から対象になる…例えば、理工系分野における女子等
令和6年度大学入学者選抜実施要項
文部科学省の言い分を整理します。
- 性別が要因で進学機会の確保に困難がある
- 入学者の多様性を確保する必要がある
- 例えば理工系学部の女子
文部科学省は女性は差別されているけど本当は能力があるから 理工系大学に女性を入れてあげて!と完全に名指ししているのです。
でもさ、文科省がこれだけ言うんだから 実際に女性は理工系の学部に進む機会が奪われてきたんじゃないの?
よし、ここからは「実際に女性は進学機会を奪われた被害者なのか?」という観点で統計データを紹介しよう。
ここからは、実際に文部科学省の主張している「女性は被害者」と言うものが正しいのか考えてみようと思います。
おちんぽ騎士団「文部科学省」の主張を解体する
これまで、多くの大学 とくに理工系学部における女子枠が盛んに導入され始め、その背景には文部科学省の通達があり、その前提には「女性には本当は理工系に進むための能力がある一方、性差別によって機会を奪われてきた」という教義があると述べました。
実際に文科省が主張するような「女性は被害者」という教義は正しいのでしょうか。
男女平等のパラドックス
男女平等が進む現代社会。
男女平等が進めば「男女の性差は縮まり、男性も女性も同じようなキャリアや選好をするようになる」と考えるのが直感的です。
しかし、興味深いことに、最も平等が進んだ国々で、男女間の職業選択や学問分野への興味の違いが顕著になる現象が観察されています。
この現象は「男女平等のパラドックス」と呼ばれ、近年、社会学や心理学の分野で注目を集めています。
なんで男女平等社会になると、男女の違いが大きくなるの?
それについても理由を補足しよう。
男女平等のパラドックスとは、男女の平等が進んだ社会において、男性と女性の選択肢が広がる一方で、性別による選好や行動の違いがより明確に表れる現象を指します。
実際いくつかの研究で、男女平等な社会になるほどより男女の選好の違いが如実に現れてくることがわかっています。
2018年の研究を紹介します。男女平等社会になればなるほど、女性はSTEM教育の進路を選択しなくなることがわかりました。
また媒介分析により、男女平等が進んでいない国における生活の質に対するプレッシャーが、女子や女性のSTEM科目への取り組みを促進することが示唆されました。
Paradoxically, the sex differences in the magnitude of relative academic strengths and pursuit of STEM degrees rose with increases in national gender equality.
The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education
研究では青少年の科学、数学、読書の成績に関する国際データベース ( N = 472,242) を用いて分析されました。
この研究からわかるのは、日本における女性の進路選択は「女性が差別されているからSTEM教育を選ばないのではなく、単に女性が自分の行きたい進路を選んでいるだけなのでは?」と考えられます。
世界的な傾向はわかったけど、日本では相変わらず女性が差別されているみたいな事情があるんじゃないの?
お前はおちんぽ騎士団だったのか。
よし、その主張も統計データで反論してみよう。
これまで紹介した研究データは確かに世界的な傾向はわかるのですが、一方で日本には別の事情があるのではないか?とも考えられます。
ですが他の統計データが示唆しているのは、文科省が主張している「性別によって進路の選択が狭まっている」というのはそのそも嘘なのでは?という間接的な証拠です。
女性は進路が狭まっている!! ← そんなことない
文科省曰く「女性であることによって進路選択の機会が奪われている」とのことですが、この主張はどの程度正しいのでしょうか。
いくつかの統計データが物語るのは「女性は進路選択の機会が奪われていない… どころかなんなら男性の方が奪われている」という内容です。
進路選択において、むしろ男性の方が差別されている… と言われても俄に信用できないかもしれませんが 実際の統計データを見てみましょう。
男女共同参画白書 平成29年度版のデータを紹介します。男性女性共に、大学進学率は上昇トレンドで、特に女性については一貫して上昇していることがわかりました。
この研究は、男性にも女性にも大学進学に関する門が大きく開かれており、進路の選択も自由になっていることを示唆しています。
待て待て。
大学進学率は男性の方が相変わらず多いじゃん。
次に紹介する統計データは、おそらくお前の「おちんぽ騎士団仕草」を解体するだろう。
この統計データを見ると確かに男性も女性も自由な進路を選択しやすくなったと考えられます。
…が、依然として男性の方が大学進学率が高いことに気づいた読者も多いはずです。
これを踏まえて「やはり男性より女性の方が進路選択の幅が制限されているのでは?」と考える人も少なからず存在することでしょう。
しかし、このデータの問題点はさまざまな進路に関してのデータを時系列グラフにしている点です。
高校を卒業した後に進学したか、就職したか?という観点でデータを見ると、全く違う景色が見えてきます。
@@@@@
もしかしたら、女性は「お前は大学じゃなくて短大に行け」って言われて進路の選択を妨害されているかもしれないだろ。
お前もしつこいな…
そうしたら、進路に関する決定の意識調査を見てみようか。
高校卒業後に進学したか、就職したか?という観点では、確かに男性の方が進学できず働きに出ている割合が高くなりました。
一方で女性の方が専門学校、短期大学に進学している割合が高く「お前は女の子なんだから、大学など行かず短大にしておきなさい」みたいなやりとりが存在したかもしれません。
しかしかがら「性別を理由に進路の選択を阻害されたか?」という観点で調査を行うと、更に直感と反する結果になります。
平成30年に行われた「多様な選択を可能にする学びに関する調査」からデータを紹介します。男性も女性も性別を理由に進路の決定を狭められた経験がある人の割合は少ないことが判明しました。
特に女性については、男性よりもその割合が少ないことが判明しました。
このようにして、日本人の女性は
- 進学率が上昇している
- 男性よりも高卒後に働きに出ている割合が少ない
- 性別を理由に進路選択を狭められている訳ではない
とまとめることができます。
日本人女性がSTEM教育を選択しないのは、自分の意志
これまで、男女平等のパラドックスと呼ばれる世界的な傾向を紹介し、文科省の主張するような「女性は性別を理由に進路を阻害されているわけではない!」という神話が嘘であることを述べてきました。
以上から言えることは、女性は決してジェンバーバイアス等で理系の進学を妨げられているわけではなく、自分の意志でSTEM教育を避けているとまとめることができます。
更に特徴的なのは、女性は諸外国と比較しても 理系を積極的に避けている傾向です。
理工系分野における女性活躍の推進を目的とした関係国の社会制度・人材育成等に関する比較・分析調査報告書から引用です。日本の女性は男性と比して理系学部に進学せず、諸外国の中でも割合が低いことがわかりました。
何度でも述べますが、女性は性差別で理系を選択しているわけでもなんでもないのです。
データを見ると、常識とは異なった側面が見えてくるんだな
その通りだ。
ここからは、大学の女子枠によってどんな悲劇が齎されるのか考えよう。
女性は理系の大学に進学することを望んでいない… にも関わらず、おちんぽ騎士団の文部科学省の大号令で京都大学や東京科学大学のSTEM系学部に進学する女子学生たち。
そんな歪みの結果、どんな悲劇が起こるのか考えて この記事を終わろうと思います。
大学の女子枠によって生まれる憎悪
最後にSTEM系学部に無理矢理女性を入学させた場合、どのような歪みが出てくるのか考えてみようと思います。
先に結論を申し上げますと、大学の女子枠を無理矢理作ることによって
- 女性は能力が低いという偏見(だが事実)が社会に蔓延する
- 本来は大学に入学できたはずの男子生徒が被害を被る
- 「女に学は不要」という昭和的女性観が再発明される
のような弊害が出てくることでしょう。
こんなことされたら、ちゃんと実力で男性社会を生き残っている女性にとっては迷惑な話だ。
女性を過度にヨイショしたところで、平均的な女性は能力が低く よく泣き 仕事でも使い物になりません。
ちゃんと実力のある女性はいくらでもいるのですから、彼女たちにとっては迷惑な話でしょう。
1. 公平性の欠如
そもそも女子枠は、性別による特別な配慮を含むため、男性受験生にとって不公平と感じられる場合があります。
特に競争が激しい入試において、同じ実力の受験生が性別によって異なる扱いを受けることは、公平性を損なう可能性があります。
具体的に、京都大学の一般入試と「女子枠」入試を比較して見てみましょう。興味のある人は実際に解いてみてください。
https://bouseijuku.sakura.ne.jp/2019kyoto-buturi-mondai.pdf
私は専門が物理なので、この問題を実際に解いた。
結論、女子枠入試の問題は一般入試より圧倒的に簡単だ。
物理の問題を解ける人は実際に解いてみるとわかるのですが、女子枠入試の問題は 一般入試の問題と比較して遥かに簡単です。
にも関わらず、女子であることを理由に京都大学に簡単な入試問題で入学できる生徒がいる一方、本来なら京都大学に入学できたはずの男子学生が女子枠の定員ぶん溢れてしまい不合格になる… という事態が起こります。
この結果起こるのは、女性に対する社会の偏見でしょう。
2. 女性の能力への偏見の助長
すでに述べたように、女子生徒は女性であると言うだけで 簡単な入試問題を解けば入学できる一方、本来なら京都大学に入学できる実力があった男子生徒が不合格になる非対称性があります。
その結果女子枠の存在が、女性は特別な支援がなければ競争に勝てないという偏見を助長する恐れがあります。
このような見方は、女性の努力や成果を正当に評価しない風潮を生むリスクがあります。
不幸なのは、ちゃんと実力で京都大学に入学できる女子生徒だ。
彼女も本当の実力は評価されず「どうせ女子枠でヨイショしてもらったんでしょ?」となってしまうリスクに晒される。
男女平等を目指して女子枠を導入したにも関わらず、結果として女性は社会的信用を失い やはり「女と子供は同じ括り」となることでしょう。
女性が男性と同じフィールドで戦うためには、女子枠のような形でヨイショしてあげなければならないのですから、赤ちゃんや子供と同じ括りにされるのは当然でしょう。
更に、同様の「昭和的女性観」の復活がいくつも起こる可能性さえあります。
そもそも「(平均的な能力の)女に学問は不要」
女性があえて「女子枠」でヨイショされて京都大学に入学したとしましょう。
そんな彼女たちは、今後どんな進路を進んでいくのでしょうか?
少なくとも統計的なデータが主張するのは、日本人女性はハードワークせず、専業主婦になりたがっているという事実です。
もし、京都大学に女子枠で入学した女性が専業主婦になったらどうでしょうか?
本来だったら入学できたはずの男子学生は京都大学で学べないばかりか、女子枠で入学して専業主婦になるわけですから、あるいはパート主婦に甘んじるわけですから 大学の入学なんてそもそも不要だったわけです。
女性にとってのいちばんの幸せは、可及的速やかに男に孕ませてもらって子供を育てることです。
もちろん、私の身近にとても優秀で男性社会でもバリバリ生き残っている女性も存在します。
そのような方は、女子枠なんてなくても一般入試で大学受験を突破し 勝手に優秀になっていくでしょうから、そもそも平均的な能力の女性のために社会がヨイショするのは 彼女たちにとっても迷惑な話なのです。
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