生き物のあらゆる行動や生活様式は全て「子孫繁栄のためである」と言えます。
例えば我々人間は「ビッグマックのセットを見たらお腹が空き食べたくなる」ように設計されています。
それは手軽に糖質と脂質を摂取できるビッグマックを積極的に摂取することは、サバンナを生きていた私たちにとって極めて重要な生存戦略だからです。
どこか他の記事でも解説するが、これは人間にダイエットが向いていないことを直接的に説明するな。
だから僕は痩せられないのか!
例を挙げるとキリがないですが、このように
「人間に限らず全ての生物にとって、あらゆる行動は生存・生殖を有利に行うため 母なる進化によって設計された」
と考えられます。
一方で、中には一見生存・生殖に不利なものも残っています。
それは高齢者の存在です。
閉経した高齢者の存在は、一見すると子孫繁栄にとって不便なものに思えます。
一見すると「生殖能力がないばかりかケアの必要さえある高齢者を社会が抱えることは重荷になる」から、そうでない社会との競争に負けて淘汰されたはずだ。
生殖能力を失い、直接的には子孫を残すことができない高齢者は、食糧や資源を消費するだけでなく、ケアが必要になることもあります。
このような存在が進化の過程で淘汰されず、むしろ存続してきたのはなぜなのでしょうか?
進化の観点から見れば、繁殖能力のない個体は子孫を残すための競争において不利に見えます。それにもかかわらず、高齢者が長い寿命を持ち続けることにはどのような進化的な利益があるのでしょうか?
そこで今回は「高齢者の生きる意味の科学」と題しまして、なぜ一見生存・繁殖に不利な高齢者が淘汰されなかったのか考えてみようと思います。
そもそも閉経した後も命がある生物種はごくわずか
すでに述べたとおり、高齢者が存在することは その生物種にとっては大きな負担になりそうです。
結果として、そのような種は そうでない種との生存競争に敗れ淘汰されそうな気がします。
実際に、高齢者という形態を持つ生物種はごくわずかでヒトとハクジラの一部(シャチ シロイルカ イッカク等)です。
学者にとっても、高齢者が存在する進化的な意味は長年頭を悩ませる謎だったんだ。
では、なぜこれらの種は「高齢者」という一見生存・生殖に不利な形態が残ってしまったのでしょうか。
それを突き止めるためには、近縁な種の中で
「高齢者がいるグループ VS いないグループ」
で比較をする必要があります。
残念ながら、ヒトに近縁な霊長類において 高齢者という形態が存在するのはヒトだけです。
よって、ハクジラの中で比較を行うことで 高齢者の存在する理由を突き止めることが可能となります。
高齢者が存在する理由の生物学的な説明
それでは、実際に高齢者が存在するグループは そうでないグループとどのような違いがあるのか見ていきましょう。
まず、高齢者が存在する生物種は そうでない生物種と比較して活発な世代間助け合いが行われていることが確認されました。
2024年の研究を紹介します。ハクジラは閉経することで寿命を延ばし、子や孫と生殖期間が被らず 世代間の助け合いを増やすことを発見しました。
We further show that menopause results in females increasing their opportunity for intergenerational help by increasing their lifespan overlap with their grandoffspring and offspring without increasing their reproductive overlap with their daughters.
The evolution of menopause in toothed whales
この研究結果が意味しているのは、閉経したハクジラが 娘や孫を献身的にサポートすることで親族を助けていることを意味します。
閉経した後も親族のために助け合うんだ。
なるほど。。、
閉経する理由は、娘と生殖期間が被らないようにするためであると考えられます。
娘と生殖期間が被り同時に子供を産んだ場合、親族間で子供のために割くリソースが低下することに繋がります。
それを避けるために、一定の期間を終えたら生殖能力を失うものと考えられます。
では、ハクジラは一体どのような世代間の助け合いをするのでしょうか?
結論から言うと、ハクジラのおばあちゃんは群れのために先陣切ってリーダーシップをとり親族を助けるようです。
2015年の研究を紹介します。ハクジラは閉経した後、親族を環境的困難から救うためにリーダーシップを取ることが分かりました。
First, postreproductively aged females lead groups during collective movement in salmon foraging grounds. Second, leadership by postreproductively aged females is especially prominent in difficult years when salmon abundance is low. This finding is critical because salmon abundance drives both mortality and reproductive success in resident killer whales [9, 10].
Ecological Knowledge, Leadership, and the Evolution of Menopause in Killer Whales
研究では野生のシャチのデータセットを用いて調べられ、以下のことがわかりました。
第一に、サケの採餌場での集団移動において、繁殖後年齢の高いメスが群れをリードすること。
第二に、繁殖後年齢の高いメスによるリーダーシップは、サケの資源量が少ない困難な年に特に顕著であること です。
更にこのような高齢者が存在する場合、群れの生存率にどのような寄与をするか調べた研究も存在します。
2019年の研究を紹介します。群れにおばあちゃんがいるハクジラの群れは、そうでない群と比較してグループの生存率が格段に上がることが判明しました。
Example survival trajectories for (A) a 5-y-old whale, (B) a 15-y-old whale, and (C) a 20-y-old whale, when their grandmother is alive (red line/circles), when their reproductive grandmother has recently died (blue line/squares), and when their postreproductive grandmother has recently died (green line/triangles), where the salmon index is fixed at 1 across all years. Survival is derived from the best-fitting extended Cox proportional hazards model for grandoffspring experiencing their grandmother’s death at different ages (ages are in years). Insert shows grandmother J19 with her grandoffspring J51.
Postreproductive killer whale grandmothers improve the survival of their grandoffspring
研究チームは、シャチのおばあちゃん効果を特定するため、北太平洋沿岸に生息するシャチ・グループについての36年に及ぶデータを分析しました。
その結果、祖母の死後2年以内のグループは、死亡率が、祖母の生きているグループよりも5倍近く高いことが判明しています。
特に、シャチが好物としているキングサーモンの数が少ない時期に祖母がいないと、グループ内の孫の生存率が低下していたのです。
このように、ハクジラのおばあちゃんは
・世代間の助け合いに貢献する
・群れの中でリーダーシップを取る
・おばあちゃんがいると、グループの生存率が格段に上がる
ことに貢献するようです。
Murasaki(著者)の過去録
少し話がそれますが、私は実は超がつくほどのおじいちゃんっ子です。
普段「社会保障改革」「過度な敬老の廃止」を主張しているMurasakiですが、実は 自分にとって大事なものをたくさん祖父母からもらってきました。
超絶おじいちゃんっ子であることは先に伝えたいと思います。
なんでそんなことを?
社会保障や敬老廃止を訴えているから
「Murasakiは高齢者が嫌い」
と思われそうでな。必ずしもそんなことはない。
ここから先は、著者Murasakiの過去録です。
ここで書いたことを読まなくても、先の議論の邪魔にはなりませんので読み飛ばしていただいて構いません。
めっちゃ近くにじーちゃんとばーちゃんが住んでた
私の母方の祖父母は、私の実家から歩いて5分の場所に住んでおり 祖父母からは多大なサポートを(私の両親含め)受けてました。
特に父は祖父と仲がよく、地元の釣りサークル(多分祖父が作った)に参加しては色々子育ての話や仕事の愚痴などを聞いてもらっていたようです。
祖父は地域でも色々とリーダーシップを取っては友人を巻き込んで色々な活動(酒盛り)をし、祖父の家は毎週末多くの友人が訪れていました。
話に聞くと祖父は地元の祭りを地域で企画して運営したり、地域のためにも汗を流していた男だったようです。
そして、そんな祖父をいつも支えていたのは祖母です。祖母はいつも祖父を支え、豪快な祖父の我儘に付き合わされていました。
それでも2人の仲は良く、祖父の定年退職後は毎月 と言っても過言ではないレベルで旅行に出かけていたと思います。
孫の私から見て祖父母は、昔懐かしの豪快なジジィと優しい祖母 であって、理想的な夫婦像でした。
私は(長男だから というのもあるでしょうが)祖父に謎に気に入られていたのか、いつも
「Murasaki Murasaki」
と気にかけてもらってました。
毎週金曜の夜は、祖父母の家に泊まっていたのを今でも覚えてます。
ブチギレると怖いじーちゃん
私が小学校1年生の頃でしょうか。
学校からの帰り道に、近所の先輩2人(1個上 当時小学2年生)にいじめられたことがあります。
確か服に猫じゃらしを入れられたとかそんな感じだったと思いますが、とにかく僕は泣いてそのまま祖父母の家に行きました。
相手は祖父の町内会の会長の孫で、だから僕は祖父母の家に助けを求めたのかもしれません。
そこからは記憶にないのですが、後から聞くとじーちゃんがブチギレて町内会の会長の家に殴り込みに行ったようです。
普段はお酒を飲んで祖母に迷惑かけているイメージの強い祖父でしたが、それでもいつも僕を気にかけてくれて、いざとなったら助けてくれる そんな祖父が本当に大好きです。
祖父の最期
ずっとじいちゃんに見守られて育ち、僕自身もずっとじいちゃんが大好きでした。
大学進学も応援してくれて、困ったら相談に乗ってくれて、NHKのニュース見ながら議論して(祖父は社会科の教員免許を持ってました)、なんか大事なものをたくさん祖父から受け取りました。
そんな祖父ですが、ちょっと前に亡くなりました。
僕に弱々しい姿を見せたくなかったのか、僕が見舞いに行くといつもより気合い入れてリハビリに打ち込むじいちゃん。
僕は何時間でもじいちゃんの側にいたかったけど、いつも
「こんな場所(病院)にいてもしょうがないから、早く帰りな」
と言うじいちゃん。
亡くなる直前に少しだけ退院が許されて、久しぶりの家で祖父に
「Murasaki、今のうちに酒買ってこい」
と言って一緒にお酒を飲みました。
あとで父から聞いたのは、何度か病室を抜け出して こっそりタバコ吸うのに付き合わされたというエピソードでした。
最期の最期まで家族想いで、豪快でちょっと我儘な祖父。そんな姿を見て、僕に取って祖父は自分が目指すべき男の姿になりました。
拙い文章なのですが、そんな祖父の姿は今も脳裏に焼き付いていて ハクジラのおばあちゃん …ではないですが、本当にたくさんのものを貰ったんだなと思います。
ちなみに私はプライベートでも(主に正月)着物を着ます。Murasakiのイメージ画像は「顔に刺青をした、着物の若い男性」ですが 着物は祖父に貰ったものをそのままイメージしてます(刺青はしてないですよ 僕の趣味です)。
日本社会の高齢者は ハクジラと比較にならないくらい醜悪
これまで紹介してきたように、ハクジラに限って言えば おばあちゃんの存在がポイントで 親族や群れの生存に寄与することに貢献していることがわかりました。
ハクジラの論文漁って思い出した、僕の大好きな祖父の回想録もしました。
では、日本社会は今どうなっているでしょうか。
結論から言うと 日本の高齢者は「リーダーシップをとって仲間の生存に貢献する」どころか「被害者ヅラで現役世代からリソースを奪い取り、仲間(=日本人)の消滅に貢献している穀粒し」です。
賦課方式で現役世代のリソースを取り上げ、最後は死に逃げ勝利
そもそも論、今の社会保障の仕組みは「世代間の助け合い」なんて可愛いものではありません。
自分達で支払った社会保障費を積み立ててそれを切り崩しているのではなく、自分たちで支払った額では到底足りないので現役世代の仕送りで生命維持をしている状態です。
自分たちが現役時代に支払った社会保険料がカスみたいな金額だったので、自分たちの世代を支えられず 現役世代のお金を奪い取ってゲートボールをし 病院で同窓会を開き 老人ホームで鰻を食べています。
この仕送り方式を「賦課方式」という。
世代間の支え合いでもなんでもない。
その抜き取っている金額はどの程度か?
端的に言うとアメリカの国防予算に匹敵する額を徴収し、GAFAMやTOYOTAなどの天才をかき集めて利益を叩き出す超一流企業の売上の何倍も大きな額です。
ちなみに彼らはその社会保険料を満額払っていないのに、介護保険のサービスを満額受け取っています。
なぜなら、介護保険制度が施行されたのは2002年で40歳から支払わなければなりませんが、2002年の時点ですでに40歳以上ですので その分支払った期間が短くなります。
若者を積極的に妨害し 自分の生命維持で頭がいっぱい
「高齢者は悪くない 政治・制度が悪い」と反論する人へ
よく社会保険料の話をすると
「高齢者が悪いのではなくて、政治や制度・仕組みに問題がある」
と主張する人が現れます。
端的に言って勉強不足でしょう。
中学校の公民で習うと思いますが、日本は「間接民主制」で 投票で選んだ政治家が代表して法律や制度を決めます。
「政治や制度が悪いのは、それを選んだ日本国民が馬鹿だから」
と言うことに他なりません。
制度が悪いと思うなら、そのような政治家を選ばないようにすればよい。
「高齢者が悪いのではなくて、政治や制度・仕組みに問題がある」
という人は
「本当は高齢者にリソースを割きすぎるのはよくないから、仕組みを変えるべきだ」
と声を上げるべきです。
それでも制度に甘んじて現役世代から金を抜き取る制度に反対しないなら、あなたに「政治や制度が悪い」と言う資格はありません。
また、それでもなお
「高齢者が悪いのではなくて、政治や制度・仕組みに問題がある」
と主張するなら、もう投票などの国家・自治体運営に関する投票行動をしないでください。
政治が悪いので、あなたが投票しなくなれば そのような悪徳国会議員(笑)は当選しないのではないでしょうか。
「お前も老人になるんだよ」という二階俊博みたいな反論をする人へ
「お前も老人になるんだから、社会保障はこのままでいいだろう」
という意味でしょうか。
残念ですが 日本の出生数が全く頭に入っていない、勉強不足な反論です。
日本の出生数は2023年時点で75万人です。彼らが20年後働き始めて 今の調子で社会保険料を納められると思いますか?
無理です。
もしあなたが50代 60代なら、ウンコ塗れの死を覚悟するべきです。
うわぁっ
きったねぇ!!!!
真面目に言っている。
そして決して誇張した訳でもない。
2024年時点で50~60代なら、同学年に150万人以上いるはずです。
20年後、あなたの糞尿の世話をするのは 75万人しか生まれなかった世代の子供たちです。当然人手が足りないので 介護は需要過多で逼迫した状況になるでしょう(今のままなら)。
介護業界は2022年に初めて離職超過となりました。誰も低賃金で高齢者の糞尿の世話などしたくないのです。
少し算数ができれば、今の社会保障の仕組みを維持して逃げられるかどうか怪しい なんてことは誰でもわかるはずです。
それでも
「お前も高齢者になるんだよ」
と言って現状維持を望むなら、お願いですから 投票とか意思決定をしないでください。
そこらへんの小学生よりも頭が悪い可能性があるので、国家や自治体の重要な意思決定に関わるべきではないです。
ちょい補足
ちなみに、厳密に言うとハクジラの例を出して
「よって高齢者の役割はxxx(←ハクジラのおばあちゃんの役割と同じことを言う)」
は、いささか暴論でしょう。
本当は、人間の高齢者の社会的役割みたいなものがわかればいいんですけどね。
まだまだ勉強不足です。
何か知ってることとかあったらコメント欄で色々教えてください。
コメント
いまの高齢者の価値が下がっている点、非常に同意します。リソース問題など記事の内容についても概ね同意してます。しかし、高齢者の価値がないからリソースを削れという結論には、同意したくてもするわけにはいかないのです。
私もギリZ世代として思うところはありますが、嫌われる覚悟で反論させて頂きます。(長文ですが役に立つとはおもいます)
・まずハクジラの件ですが、英語が読めず正しい判断ができず申し訳ございません。
そのうえでの反論ですが、血縁関係での孫の生存率を、血縁関係のない他人(日本人)の子供の生存率と比較することは少し難しいです。
淘汰ということでダーウィンの進化論的判断です。この場合淘汰されるのは個人の遺伝子です。ハクジラの論文から導き出せるのは、核家族よりもサザエさんのような複合家族のほうが、特定の誰かのDNAの生存に有利に働くという答えになります。
つまり、最初の問。「なぜ一見生存・繁殖に不利な高齢者が淘汰されなかったのか」についてですが、この記事で問うべきは「なぜ我々は遺伝子レベルで他人である高齢者を社会の一員として受け入れているのか」というのはいかかでしょうか。
これにより、高齢者を淘汰するかいなかという2択から高齢者をどう扱うかという幅広い答えに広げることができます。
・次に高齢者が現役リソースを取り上げ死に逃げ。という項目です。生物学的に考えます。利己的な遺伝子にあるように、基本は自分のDNAが100%のこる事が理想です。言い換えると「最後は自分が一番かわいい」です。現在の状況で考えると若者は高齢者に寿命という点で負ける可能性があります。高齢者が勝ち逃げとは個人間でみると正しいです。
・問題点は結論の出し方です。先ほど私は「高齢者を淘汰するか」という問いから「何故高齢者を受け入れているか」という問いにかえました。
ここでは生物学だけだと厳しいので他視点で見ていきます。
何故高齢者を受け入れているのか?について結論から書くと「高齢者を生かすことで個人の生存が約束されるため、受け入れている」というのはどうでしょうか?
あくまで私の考えです。
まず社会契約的考えをしました<私は貴方を殺さないから貴方も私を殺さないでよ>というやつです。日本に生まれるとすべての人に人権が与えられます。
人権は「社会を構成するすべての人々が個人としての生存と自由を確保し,社会において幸福な生活を営むために,欠かすことのできない権利」です。
つまり、高齢者に与えるリソースを割く(生活レベルを下げる)ということは日本国民すべてにおける人権レベルを減らす事につながります。「高齢者は一日1食しか食べてはいけません、でも若者は3食たべるべき」なんて不平等な理論は通りません。日本国民全員に人間的に生きる権利が与えられているのです。生活保護の受給額を下げるなという人がいるのはこういうことです。もし、高齢者のリソースを割いて人権レベル(生活水準)を下げた場合、今以上に最低賃金を下げることも可能になります。だって平等ですから。
ここで、賃金の話がでました。資本論の基本も使います。
「資本家は労働者の生み出す価値を搾取することで利益を得る」。つまり給料は労働者が次の日も元気に働く分だけ与えれば良いという意味です。
これだけだと不十分なのでブルシットジョブと奴隷の価値を持ってきます。
まずブルシットジョブですが「労働者すら存在価値がないと思うが価値があるようにふるまう仕事」です。無意味な会議、資料作成などが当てはまりますがコレ以外にも多くあります。
次に奴隷の価値です。奴隷の価値とは貴族を作ることです。
奴隷一人に<生存に必要な仕事をすべて行わせる>ことで、数人の貴族はファッションやマウント作業を行える。貴族は決して奴隷の仕事をせず、時間経過とともに生存のすべてを奴隷に依存していく。
そして奴隷は生産効率が上がるほど多くの貴族を生み出します。ただし奴隷は人権をはく奪されている点で今とは少し異なります。(なお、貴族は奴隷確保に躍起なります。植民地獲得とか近い気がします)
・これらを組み合わせます、今回の記事では高齢者の価値をハクジラの閉経に例え、子供の出産(子供の生存に協力する)に視点をおいていましたね。
つまり、税金で養うから高齢者も協力しろや、ということになります。
問題点はリソースを奪っているのは高齢者だけでないという点です。生活保護者や障がい者など社会福祉を必要とする人の事でもありません。
例え働いていたとしてもブルシットジョブのように無意識にリソースを奪っている人が数多くいるのです。(文明の発達では無価値ではありませんがもらいすぎです)。他にも株主は?大家は?彼らの働きは子供の生存に協力していますか?経営者や社長は現場で何かを産み出してますか?彼らが子どもを産んだとして、その子どもは本当にリソース回復の為に働くでしょうか。
私は彼らの子供は、同年代の若者のリソースを奪う側に回ると考えています、その教育(知力)と財力があるからです。現にZ世代はエッセンシャルワークを嫌うほどですが、エッセンシャルワークにつくことを余儀なくされる人もいます。エッセンシャルワークの価値はかなり奪われています。
出生率は国の生産性に大きく寄与しますが、若者や一部労働者が搾取され苦しんでいることの全てではありません。税金の取り方、使い方本当に正しいんですかね。お金の持ちの方は税金に文句いうけど、実際どうなんですかね。
(あくまでこの主張はエッセンシャルワーカーとしての個人的怨念はこもってますが)
具体例として令和2年の基幹的農業従事者の数は136万人です。この人数で日本国民1億2000万人の野菜を作ってます。それでも農業従事者の多くは赤字に近く、需要と供給でいえばもっと減っても良い状態です。(白菜などが豊作の時は、ほぼ段ボール代だけで出荷してます、実質0円です)
末端生産者がそのような状態で、なぜ高齢者ごとき養えない社会が生まれるのでしょうか。
今の若者の人数でも本当は高齢者を養えるだけの科学の発展はしているのではないでしょうか。
極論、日本国民全員が江戸の農民のような質素な生活なら次の世代の子ども含めて全員賄えるはずです。(極論ですよ、他国の侵略等もありますので不可能です。)
つまり「我々は人権を保ちつつ、高齢者を受け入れることが出来るようになった」
昔のように姥捨て山に高齢者を捨てるという最終手段をとらなくとも良い状況になったのです。
そして、高齢者や生活保護者を受け入れるという契約を社会と結ぶことで全ての国民に人権を与える事が出来た。つまり子供を産んだ瞬間、我が子の生存が社会によって保障される。これが技術の発達で可能になったのだと思います。(もっとも、豊かな土地の原始人では行えている部族もありました)
生物学的視点でも、自分の遺伝子をどれだけ残せるかが生物の目的なので、子供を産むだけでその子供の生死がある程度保障されるというのは厳しい自然環境を生きている人間以外の生物と比べると最強の武器とも言えます。これは争いや飢餓に苦しんだ先祖たちが悩んだ先の結論ではないでしょうか。
最後に「高齢者など社会福祉を見捨てることは契約違反」です。
その時点で、力ある人間による支配を完全に許可したことになります。淘汰することも奴隷にすることも自由です。逆に力ない人間も数の暴力などで権力者を淘汰する権利を得たことになります。
<私は貴方たちの生活を保障するから、貴方たちも私の生活を保障してね>が崩壊したからです。
なぜ高齢者が淘汰されないか、の答えは「淘汰されると自分と家族の淘汰されるリスクが格段に上がるから」というのが私の答えですがどうでしょうか。
高齢者には醜い人も多いです。私もそう感じます。しかし高齢者以外も醜く怠惰になってます。日本国民全員の質が明らかに落ちているのです。
若者の権力(物理的な暴力や知的暴力)で高齢者の人権を奪っても意味がありません。次の誰かが犠牲になり続けます。次は生活保護者ですか?独身ですか?税金量の少ないフリーターですか?
必要なのは、政治や制度・仕組み、そして高齢者を含むすべての日本人の質の向上です。
気に食わないところや、その他ありましたら晒していただいてもかまいません。経済学や社会契約論の部分は勉強不足なので違うかもしれません。答えは1つではないです。
私より正しい人がいるはずです。
長々と失礼しました。
参考文献・利己的な遺伝子、ブルシットジョブクソどうでもいい仕事の理論 、万物の黎明 など
Murasakiです
コメントいただきありがとうございます!
社会契約論や社会の変遷などを軸に議論が展開されていて非常に興味深い内容でした。
特に
の部分は考えさせられる内容でした。
確かにこの観点は私にはなかったので、なるほどなと思いました。
今回の記事は進化生物学をベースに議論を展開しています。
なぜ、このような性質が進化の過程で残されたか?を議論するものになります。
確かにハクジラの例ではサザエさん的一家で遺伝子を残していくケースに対応するでしょう。
その意味で私の記事は説明不足な面がありますね。
私はあらゆる人間の特性に、進化上合理的な理由が隠されていると信じて(信仰して)います。
そのため、サザエさん一家的な家族の形態の外に高齢者が存在することが合理的な進化上の理由があると信じています。
人間(に限らず多くの霊長類)が親密な関係を築ける人数は、150人程度とされています。
Robinson Dunbarで調べてみてください。
にも関わらず、農耕社会や帝国や国民国家を維持できるのは、何かしらの信仰を数万人単位で信仰し その下であれば人々は結束できるからです。
ここからは仮説なのですが、高齢者を存在させること事態が合理的(あるいは道徳的)であるという信仰が人間社会には過去から存在し、それが実際に合理的だった時代がかつては存在したのではないでしょうか。
その結果「敬老」的な形質は残り続け今に至る… と思っています。
最後の考察部分は個人的な感想を多分に含んでいます。
何かわかったら記事に論文等追加していく所存です。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!