ファン・バール論文が暴いた「生存効果」の罠
なぜ健康を増進しても、社会全体のコストは下がらないのでしょうか。
その謎を解く鍵が、2008年にオランダの経済学者ピーテル・ファン・バールらが発表した衝撃的な論文にあります。
健康な人ほど「一生にお金がかかる」という皮肉
2008年の研究を紹介します。効果的な肥満予防(や栄養介入)は、短期的には関連疾患のコストを下げますが、寿命が延びることによって「肥満とは無関係な病気」にかかる期間が増え、結果として生涯医療費は増大します。
Although effective obesity prevention leads to a decrease in costs of obesity-related diseases, this decrease is offset by cost increases due to diseases unrelated to obesity in life-years gained.
Lifetime Medical Costs of Obesity: Prevention No Cure for Increasing Health Expenditure
この研究は、肥満や喫煙の予防、そして健康な生活が「生涯医療費」にどう影響するかをシミュレーションした研究です。
結果は明白で、「不健康な人」の方が早く亡くなるため、社会全体の生涯コストは最も安上がりであるという結論が出ています。
健康な人は若いうちこそ医療費を使いませんが、その分、非常に長生きをします。
すると、最終的には加齢に伴う高額な慢性疾患や、長期間にわたる介護ステージに突入します。
一方、喫煙者は若いうちに比較的低コストで亡くなってしまうため、生涯トータルでは「安上がり」になってしまうのです。これが医療経済学で言われる「生存効果(Survival Effect)」の罠です。

これは敬老パスでも同じことが言えるだろう。
詰まるところ、敬老パスなんぞで1日の歩数が1500歩増えたところで、そんなのは社会にとって迷惑でしかなく、さっさと死んでくれた方が負担が減ってハッピーなのです。
「死のポートフォリオ」の入れ替え
ここで重要なのは、敬老パスによる健康増進が「死を消し去っているわけではない」という点です。行われているのは、「死のポートフォリオの入れ替え」に過ぎません。
敬老パスで歩数が増えれば、心筋梗塞のような「突然の安価な死」のリスクは確かに下がります。しかし、それは死を回避したのではなく、「より高額で長期的な死」へと原因をすげ替えただけなのです。
- かつての死因: 急性疾患(短期間・低コスト)
- 新しい死因: 認知症・寝たきり・老衰(長期間・高コスト)
敬老パスによる健康増進は、医療費を抑制する魔法ではなく、むしろ将来のより大きな支払いを予約する「コストの先送り」なのです。
なぜ「嘘」だと分かっていても止まらないのか?
ここまで見てきたように、敬老パスによる医療費削減効果は、データに基づくと極めて限定的、あるいはむしろ将来のコスト増を招く「嘘」であることが明らかです。
では、なぜ自治体はそれを止めることができないのでしょうか。
高齢者の投票率という「最強の変数」
第一に、政治的な力学が働いています。
少子高齢化が進む日本において、高齢者は人口比例以上に「投票率」が高い存在です。
政治家にとって、高齢者の支持を失うような政策(例えば、敬老パスの廃止や削減)は、自らの政治生命を絶つことに等しい行為です。
そのため、敬老パスは「医療費削減」という建前を使いつつ、実質的には高齢者への「バラマキ」として機能しています。
政治家は、数字の真偽よりも、高齢者の支持を得ることを優先しているのです。
結果が、💩を垂れ流すしか能のない老人のために、下の世代が何もかも犠牲を払う地獄絵図なのです。
「健康=善」というポリコレ汚染
第二に、社会的な心理的背景があります。
「健康になることは善である」「高齢者を大切にすることは善である」という、誰も反論できないポリコレ的価値観が、論理的思考を麻痺させています。

ちゃんと高齢者に「お前は早く退場してくれた方が嬉しい」と思われている程度の存在だって、理解してもらわないとな。笑

ワロタ
「健康になるのに、なぜ医療費が増えるのか?」というパラドックスは、感情的には受け入れがたいものです。
そのため、人々は無意識のうちに「健康になれば、全てがうまくいく」という美しいファンタジーを信じようとしてしまいます。
この心理的バイアスが、不都合な真実から目を逸らさせているのです。
「健康」を社会貢献と呼ぶのはもうやめよう
ここまで、敬老パスという「善意の政策」が孕む、冷酷な算数の現実を見てきました。
結論を言えば、敬老パスは高齢者の人生を豊かにし、幸福度を高めるのかもしれませんが、「社会保険料を下げるための投資」としては、完全に失敗しています。

というか、下の世代は「他人の老人の健康だの生命だのに全く関心がない」んだから、敬老パスで豊かな老後を送ろうが知ったこっちゃないんだよな。

確かにね
というか、他人の老人の健康を行政が面倒見るというのがそもそも意味不明です。
「健康」は私的な贅沢である
私たちは「健康寿命を伸ばして社会に貢献しよう」という言葉に慣れすぎてしまいました。
しかし、データが示しているのは、皮肉にも「健康になればなるほど、社会保障という名の共通財産をより多く消費する」という逆説的な事実です。
健康であることは、個人の人生にとっては紛れもない「善」であり、最高の「幸福」です。
しかし、それを「医療費削減のため」という偽りの公益性でコーティングするのは、もうやめるべきではないでしょうか。
健康とは、本来、自分のわがままな人生を謳歌するための「私的な贅沢品」であるはずです。
にも関わらず、医療費が下がる!という公益性を全面に出して、私的な贅沢を守ろうとするのは浅ましいとしか言いようがありません。

確かに… 個人の幸福や生き方の問題を「公益性」にすり替えて文句言うのはおかしい…

しかもその負担をするのは、他人の下の世代なんだよ。
早く○んでくれって。笑
はっきり言いますが、高齢者の生命や健康に 我々はこれっぽっちも関心がありません。それどころか「負担にしかならないので、さっさと死んでくれた方が嬉しい」程度の存在なのです。
自分が邪魔者であるという現実に向き合わずに、公益性を全面に出して下の世代に負担を要求するのは意味不明です。

誠実な議論のために
もし自治体が本当に敬老パスを継続したいのであれば、「医療費が浮くから」という破綻した論理を捨て、「これは高齢者のウェルビーイング(幸福)を支えるための、純粋なコスト負担である」と正直に宣言すべきです。
その上で、現役世代に対して「これだけのコストを払ってでも、私たちは長寿社会を維持したいのか」という問いを、正面から投げかけるべきではないでしょうか。

破綻した論理で下の世代からピンハネし続けておいて、本当に「自分は敬老されるべき存在」だと言えるか?
次に街中で、敬老パスを使って元気に出かける高齢者を見かけたとき、私たちはこう思うべきかもしれません。
「あの人の健康な笑顔を支えるために、私たちの将来の保険料は着実に積み増されているのだ」と。
それは決して悪いことではありませんが、それがであることを、私たちは知っておく必要があります。
にも関わらず、高齢者が「敬老パスは公益性がある!」というポーズを崩さず下の世代からピンハネし続けるなら、間違いなく敬老なんてしてもらえないでしょう。
…それどころか、🤬んでほしい邪魔な存在程度にしか思われないでしょう。

🤬んでほしい存在のために負担をし続けるのは、心理的にも苦痛の極みです。
それはやがて、あなたたち高齢者に対する「客観的な事実に基づいた、憎しみや差別意識」に変わるかもしれません。
私は心の底から世話になった人以外の高齢者を差別しているので、そんな社会が訪れても「まぁ自業自得だよね」としか思わないです。
敬老パスに対するスタンスは、下の世代にどう思われて🤬にたいか、高齢者本人の生き様の問題なのかもしれません。



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